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しものせき物語しものせき物語

episode.1

くじら
  • 下関と「くじら」の関わり
  • 「くじらの街下関」を巡る
コース
  • 食について
  • くじらと共に~捕鯨のまちを訪ねて~

下関とくじらの関わり

~古代から中世まで~

下関は古くから「くじら」との関わりが深く、今から2千年以上も前(弥生時代中期頃)の遺跡である吉母浜(よしもはま)遺跡から、くじらの骨でできた「アワビオコシ(※1)」が出土しています。「アワビオコシ」は、アワビを岩からはがす時に使う道具ですが、既に当時から海岸に打ち上げられた「くじら」の肉は食用として、骨は道具等に利用されていたと考えられています。
中世に入り、関門海峡での源平最後の合戦・壇ノ浦の戦い(1185年・寿永4年)で、イルカが登場しますが、その様子は赤間神宮の宝物殿にある「安徳天皇縁起絵図(紙本金地着色安徳天皇絵)(※2)」に描かれています。

  • 鯨骨製アワビオコシ

    鯨骨製アワビオコシ
    (提供:下関市立考古博物館)

  • 安徳天皇縁起絵図(紙本金地着色安徳天皇絵)

    紙本金地着色安徳天皇絵

(※1)アワビオコシは、下関市立考古博物館に展示されています。

(※2)安徳天皇縁起絵図(紙本金地着色安徳天皇絵)は山口県指定有形文化財。源平壇ノ浦の合戦の勝敗を天文博士に占わせたところ、関門海峡に突然たくさんのイルカが出現し、平家の軍船の下を通り抜けていったとの逸話があります。

~江戸期の古式捕鯨(長州捕鯨)と下関の役割~

その後江戸時代に入り、「くじら」の通り道であった長門、萩周辺の各浦に鯨組が置かれ、沖を通る「くじら」を勢子舟(せこぶね)と呼ばれた小船で追いかけ、銛を打ち込んで捕獲する古式捕鯨(※3)(長州捕鯨)が行われます。当時、北前船の寄港地であった下関では、長州捕鯨で捕獲された鯨の肉、油などが下関の問屋を通じ、関西、北陸や九州各地に送られていたという記録があります。既にこの頃から、「くじら」の流通基地としての基盤が整っていったと考えられています。
(※3)鯨の捕獲方法は、その後網を掛けて銛(もり)を打ち込む「網掛け突き取り法」に進化します。

~明治期の近代捕鯨発祥地~

明治期に入り「くじら」の捕獲方法も、それまでの古式捕鯨から船に積んだ大砲で銛を発射し、「くじら」を捕獲する近代式(ノルウェー式)捕鯨法に変わります。当時山口県議であった岡十郎と資産家の山田桃作(※4)が立ち上げた、日本初の近代式捕鯨会社「日本遠洋漁業株式会社」が、1899(明治32)年に長門に本社を、下関に出張所と倉庫を置いたことから、長門と下関いわゆる山口県は、近代捕鯨の発祥地と呼ばれています。

(※4)岡十郎と山田桃作の顕彰碑は日和山公園の一角にあります。

~戦前・戦後を通じた南氷洋捕鯨基地へ~

「日本遠洋漁業株式会社」はその後、東洋漁業、東洋捕鯨、日本捕鯨(※5)等に合併・再編等を経て、現在の日本水産につながる会社となりますが、昭和初期には対岸の北九州・戸畑に移転します。下関ではその後、中部幾次郎(※6)が朝鮮通漁やトロール漁業等で財を成し、立ち上げた林兼商店(後の大洋漁業(マルハ)、現・マルハニチロ)が捕鯨事業に進出し、1936(昭和11)年には南氷洋捕鯨に出漁します。
戦後は食糧難解消のため、下関の唐戸岸壁から小笠原捕鯨に出漁しますが、更に南氷洋捕鯨が再開され、下関は捕鯨船の建造、鯨肉の陸揚げ、流通・加工等の大洋漁業の捕鯨関連産業が集積した「くじらの街」として発展してきました。昭和30年代後半のピーク時には年間約2万トンを超える鯨肉が陸揚げされ、「くじら」は水産都市下関発展の一翼を担ってきました。

  • 東洋捕鯨下関支店

    東洋捕鯨下関支店

  • 下関漁港の捕鯨船

    下関漁港の捕鯨船

(※5)日本捕鯨を立ち上げ、南氷洋に捕鯨船団を送ったのが国司浩助で英国からトロールの技術を持ち帰り、現在の日本水産の基盤を築いたと言われています。

(※6)中部幾次郎は兵庫県明石出身で、下関に本拠地を移し、トロールや捕鯨事業に進出します。大洋漁業はプロ野球球団大洋ホエールズの創設や社会貢献にも積極的に取り組み、学校への体育館建設寄贈等を行いました。

~商業捕鯨モラトリアム(一時停止)と商業捕鯨の再開~

1982(昭和57)年には国際捕鯨委員会(IWC)で商業捕鯨の一時停止が決定され、商業捕鯨から調査捕鯨に移行しますが、下関は調査捕鯨船(目視採集船)の基地として「くじら文化」をつないできました。その後も、下関は商業捕鯨再開に向け他の自治体と連携し、様々な活動を行いながら捕鯨船団の基地化を目指してきましたが、2019(令和元)年6月末に日本政府は国際捕鯨委員会(IWC)を脱退し、7月1日から31年ぶりに商業捕鯨が再開されました。下関は国内における唯一の沖合商業捕鯨基地として、次世代に下関が誇るくじら文化を継承するとともに「日本一のくじらの街」を目指し、捕鯨母船「日新丸」の代替船建造等、捕鯨船団の基地化に取り組んでいます。

~下関のくじら文化~

下関から島根県の益田周辺までの日本海側では、古くから節分にくじらを食べる風習があります。「大きなものを食べて大きく年をとる」、「大きなものを食べて邪気を払う」という事柄にちなんでと言われています。下関は「くじら」の流通基地としての食文化が根付いており、市内には「くじら」の専門料理店や専門小売店もあり、1958(昭和33)年には大洋漁業の鯨の直営レストラン「日新(※7)」が置かれていました。
マルハブランドの生産拠点でもあった下関では、「くじら」のハム、ソーセージ、缶詰等も生産され、昭和30年代には「くじら」のソーセージの年間出荷額が約40億円にものぼっていました。現在でも市内の量販店や飲食店でも鯨肉や料理を扱っている店舗も多く、下関のくじら文化を支えています。

捕鯨母船日新丸出港

捕鯨母船日新丸の出港

(※7)「日新」の「くじら」メニューには25種類があり、年間13万人もの来客があったということです。

くじらの街下関を巡るコース、ゆかりの場所

鯨館(長府関見台)

鯨館(長府関見台)
鯨館は1958(昭和33)年に大洋漁業が建設し、下関大博覧会の開催に合わせて下関市に寄贈されました。シロナガスクジラをイメージし、旧下関水族館の施設として、館内で鯨に関する展示が行われていました。(現在、中には入れません)

鯨館(長府関見台)

鯨館

長府庭園(旧中部邸)
長府毛利藩の家老格西運長の屋敷跡で、マルハ創業者である中部幾次郎が購入し、邸宅として使用していました。平成2年に下関市が購入・整備し回遊式日本庭園の「長府庭園」として平成5年5月1日に開園しました。

長府庭園(旧中部邸)

長府庭園(旧中部邸)

赤間神宮(宝物殿)
赤間神宮は、源平壇ノ浦の合戦で入水された安徳天皇を祭神とする神宮で、イルカが描かれている安徳天皇縁起絵図は、宝物殿に展示されています。(定期的に展示品の入れ替えがあります)

赤間神宮(宝物殿)

赤間神宮(宝物殿)

唐戸市場(鯨肉専門小売店、鯨のお寿司販売ほか)

くじら感謝碑(海響館そば)
くじら感謝碑は2002(平成14)年に開催された国際捕鯨委員会(IWC)下関会合に合わせて下関くじら食文化を守る会が浄財を集め建設し、下関市に寄贈されたものです。

くじら感謝碑

くじら感謝碑

シロナガスクジラ骨格標本(海響館)
海響館の小松・ワローホールには、今から100年以上前にノルウェーフィンマルク沖で捕獲されたシロナガスクジラの骨格標本が展示されています。体長26m推定体重106トンの雌で、トロムソ大学付属博物館から貸与されているものです。

シロナガスクジラ骨格標本(海響館)

シロナガスクジラ骨格標本(海響館)

捕鯨船第二十五利丸モニュメント(あるかぽーと近く)
第二十五利丸は、1962(昭和37)年下関の旧林兼造船で建造され大洋漁業の捕鯨船として活躍しました。引退後は下関市に寄贈され係留展示されていましたが、老朽化により解体され、2015(平成27)年からあるかぽーとの近くでモニュメントとして捕鯨砲等の部品が展示されています。

捕鯨船第二十五利丸モニュメント

捕鯨船第二十五利丸モニュメント

蜂谷ビル(旧東洋捕鯨下関支店)(岬之町)
1926(大正15)年に旧東洋捕鯨下関支店の建物として建築され、日本捕鯨別館としても使用されていました。国指定有形登録文化財で、日本遺産構成文化財の建物でもあります。

蜂谷ビル(旧東洋捕鯨下関支店)

蜂谷ビル(旧東洋捕鯨下関支店)

岡十郎、山田桃作顕彰碑(日和山公園内)
日本初の近代式(ノルウェー式)捕鯨会社である日本遠洋海業株式会社の設立に尽力した岡十郎、山田桃作の功績を影彰するために建立されたものです。

岡十郎、山田桃作顕彰碑(日和山公園)

岡十郎、山田桃作顕彰碑(日和山公園)

旧大洋漁業本社跡石碑(JR下関駅西口)
旧大洋漁業本社は、1936(昭和11)年に林兼商店本社ビルとして建築されましたが、老朽化により2010(平成22)年に解体され、本社跡地の石碑が建てられました。内部には当時としては珍しい、エレベーターや水洗トイレが完備されていました。

旧大洋漁業本社跡石碑

旧大洋漁業本社跡石碑

そのほかの見どころ
  • ツノシマクジラの骨格標本

    つのしま自然館
    1998(平成10)年に新種の鯨として角島で発見されたツノシマクジラの骨格標本(レプリカ)を展示しています。

  • 下関市立大学鯨資料室内部

    下関市立大学鯨資料室
    2007(平成19)年11月14日に開設されました。旧大洋漁業創業家である中部家から寄贈された戦前の南氷洋捕鯨資料や旧林兼造船資料等を所蔵、展示しています。
    (※見学される方は事前に電話で確認をして下さい。)
    下関市立大学地域共創班 TEL 083-254-8613

  •  

    下関市立考古博物館
    今から約2千年前頃の遺跡である吉母浜遺跡から出土した鯨骨製アワビオコシを展示しています。

食について

(参考資料)季節のくじら おいしさ歳時記:
 発行:NPO法人くまもと食農応援団(一財)日本鯨類研究所

生活に鯨食のススメ

くじら調理のコツはふたつ!①冷凍くじらはチルド室(0℃)でゆっくり解凍する。②塩漬けされている皮やうねすは塩抜きする。

くじらはほぼすべての部位がたべられます

① 舌(さえずり)...刺身、煮物、おでん
② かぶら(軟骨)...松浦漬け
③ 茹でうねす(畝須)...塊をボイル済み。
  薄く切って酢味噌やだし酢で
  鯨ベーコン(うねす)...生食、刺身
④ 赤肉 ...さまざまな調理に使える部位
⑤ 本皮 ...汁物や煮物
⑥ 尾肉 ...鯨のトロ、口の中でとろける触感。刺身で。
⑦ 尾羽

  • 鯨ベーコンのサラダ

  • 尾肉の刺身

  • 赤肉ロースト鯨

  • 鯨赤肉ステーキ

  • さらし尾羽(さらし鯨)

    鯨の尻尾の皮を塩蔵したものを薄切りにし、熱湯で塩分や脂分を抜き、冷水にさらしたもの。食感はシャキシャキコリコリとしていて、味はさっぱり酢味噌でどうぞ。お吸い物の具としても美味しく頂けます。

  • 鯨赤肉オイスター炒め

  • 鯨赤肉マーボー豆腐

  • 鯨肉じゃが

    本皮から出た出汁の旨みが素材を引き立てます。

  • 鯨赤肉のハーブパン粉焼

    赤肉は加熱時間が長いと固くなるので、火を通しすぎないのがコツ。

くじら歳時記
  • お正月(1月)

    おせち、くじら筑前煮

    大きく飛躍する年になるよう縁起物として鯨をどうぞ。

  • 節分(2月)

    唐揚げ

    大運が開くように願いを込めて、大きな鯨と小さな魚を食べました。大きな鯨を食べて勝つ『鯨カツ』『鯨唐揚げ』などがおすすめです。

  • ひな祭り(3月3日)

    さくら尾羽

    五節句
    (桃の節句)

  • 春

    春は新たなスタートの時。
    ひな祭りや端午の節句には『大きく育つように』『大きな人生になるように』願いをこめて、お祝い膳に鯨を入れました。

    端午の節句(5月5日)

    刺身

    子どもたちの世代に鯨食を伝えましょう。

  • 夏

    田植えやお盆に、親戚や隣人が集まる席で鯨が食べられていました。夏の暑さに負けないスタミナ食として鯨をどうぞ。

    お盆(7月・8月)

    鯨のにぎり寿司

    家族が集まりお墓参りをして食事をしました。

  • 秋

    収穫の季節、野菜と一緒に鯨の出汁で煮物がよく食べられていました。肌寒くなってきた季節には鍋などもおすすめです。
    たっぷりのキノコや根菜が入った鯨汁は温まります。

    稲刈り

    鯨カツ

    収穫の祝いスタミナ食として。

    重陽の節句(9月9日)

    紅白刺身

    滋養のある鯨と共に、邪気を払う菊をあしらい、不老長寿や無病息災を祈願します。

  • 冬

    大晦日には1年の締めくくりとして、栄養価の高い鯨を食しました。冬を乗り切る健康食材としても鯨はぴったりです。

    すす払い(12月13日)

    鯨汁

    年神さまを迎える神聖なものとして、鯨汁を食しました。

くじらと共に~捕鯨のまちを訪ねて~

くじら総合サイト「くじらタウン」

しものせき物語

  • 巌流島
  • 金子みすゞ
  • 壇ノ浦の合戦